2018年5月18日金曜日

よっちゃんとアドラーちゃん

<幸福は対人関係の中でしか得ることができない>

って、本当にそうだろうか? アドラー心理学をちょっとばかしかじってから、ずっと引っかかっている定義である。<すべての悩みは、対人関係の悩み>であり、<すべての喜びもまた、対人関係の喜び>だとアドラーはいう。<誰とも関わらなければ悩みはないが、その代わりに喜びもない>って、極論だけど、まあ、そうかも? うん、でもなにかガッテンできない。

ここでよっちゃんである。


黒の油性マジックを使ってメイクをし、女性物の洋服を好み、巣鴨に出没する75歳のおじいちゃん。「月曜から夜ふかし」というテレビ番組の街頭インタビューをきっかけに一躍有名人になった。私もそのデビュー(?)からずっと衝撃を受けている一人です。

どうしたって目が離せなくなるよっちゃんだけど、奇をてらってそんな格好をしているわけではないようで、子どもの落書きみたいにまつげを描いたぱっちりおめめも、マジックの太い方で横一文字に描いたおひげも、「いい男」になるからやってるのであり、女性物の洋服も、小柄なよっちゃんにはぴったりで、柄もきれいで楽しいから着ているんだそう。

そんな格好をするようになったのは60歳の頃からだそうで、

「たまたま鏡を見たのね。バカみたいな顔だし、年寄りくさい気がしたから、マジックでたまたまやったのね。そしたらいい男なんでよ、それから15年」

ということらしい。よっちゃんは、自分で発見したメイクやファッションをとことん楽しんでいる。他者からどう見られるかなんて気にしているようすはない。気にしないと決めたのか、本当に気にならないのかは分からないけど、これは、あれだ、アドラーのいう、

<「わたし」の価値を他者に決めてもらうことは依存。「わたし」の価値を自らが決定することが自立>

からすると、よっちゃんはめっちゃ自立した人である。そして、<依存する人は永遠に満たされることのない生を送る>のに対し、<自らを承認した自立した人の先には幸福な生がある>というんだから、よっちゃんは、アドラー的にもいまを幸せに存在していることになる。

そこで冒頭の私の疑問に戻ります。

本当に、<幸福は対人関係の中でしか得ることができない>のか? 

この「対人関係」に欠かせない「他者」のことをアドラーは、「自分と結びついた人」=「仲間」といっている。その上で、<他者を自分を陥れようとする「敵」と見るか、必要があれば援助する用意がある「仲間」と見なすか>という2択を私たちに突きつけてくる。

<対人関係の中に入っていく勇気のない人が他者を敵と見なし、逆にいえば、他者を仲間と思えれば、対人関係の中に入っていく勇気を持つことができる>んだって!

確かに、自分がうまくコミュニケーションできないことを「あいつはやな感じだから」と他者のせいにするのは簡単だ。コミュニケーションだけではない、「ブサイクだから彼女ができない」とか、「病気だから仕事ができない」とか、それらしいもっともな原因(トラウマ)を掲げれば、自分ができないことを正当化できる。そしてできない自分にいつのまにか安住してしまう(ちなみにそれをアドラーは「劣等感コンプレックス」と呼んでいる)。

うーん、なかなか手厳しいね、アドラーちゃん。ただ、反対に考えれば、元々人はあらゆる原因に縛れられることはなく、自分がそう決めれば変われる「生きる自由」を持っているのだ!という、厳しくも優しい定義にも思える。

「原因」は人生に「影響」はするが、人生を「決定」することはできない。決めることができるのは自分の意志だけ。しかし決めるには勇気がいる。アドラー心理学は勇気の心理学ともいわれているそうな。

ちょっと話が外れてしまったけど、<幸福は対人関係の中でしか得ることができない(しかも、他者を「仲間」と思えないといけない)>問題について、

ここで再びよっちゃん登場である。


つい先日、「夜ふかし」で公開されたよっちゃん手書きの人生グラフに私は釘付けになった。


グラフをよくみると、よっちゃんの人生が落ち込んだのは「働き出して社会にもまれて行く」20歳前後あたりから。 その後、「職を転々としイジメ等イヤなこと起こる」30代、「ユメも希望もなくなる、ドロボー(にあう)だの対人関係にイヤ気」の40代、「人生につかれる、ガタ来る」50歳でどん底。ここまでを「楽しくない」と一括している。

がしかし!

「♡ 仕事ない、好きなこと出来る、孤独愛する、対人のわずらわしさなし、年とったらバラ色だ!」と60歳からいきなり急上昇! そう、あの油性マジックメイクを始めた頃から、よっちゃんの人生は逆転した。

さあ、どうだ、アドラーちゃん!

よっちゃんをどん底にしたのは本人も明記するように対人関係にある。そして、よっちゃんを「楽しい」に一気に押し上げた理由には、その対人関係からの解放が大きくある。アドラーの定義とは真逆、対人関係の外に出る勇気により、よっちゃんは幸せを得たのだよ!

そこで、恐れ多くがすぎるけど、私はアドラーちゃんに提案します。

他者を敵か仲間かという2択ではなく、「敵でもなく、仲間でもない」と考えるのはどうかな? 

他者はただただ他者であり、まずは憎む相手でも、愛する相手でもない。 そんなフラットな立場から、放っておいても関係が“始まる人”とは始まるし、“始まらない人”とは始まらない。

もっというと、始まらないことが気になる人がいれば、その時点で、その人とは関係が始まっているのであり、そうなったらアドラーちゃんのいう勇気(他者は仲間!)を持って対人関係に踏み込めばいい。

フラットな立場でいる上で大事なのは、「他者は敵ではない」と思えることと、他者と関わる際には「デフォルト親切」にすること。そこから対人関係に入っていってもよし、入らないままフラット維持でも別によし。

ね、アドラーちゃーん、対人関係のストレス多々な現代社会だし、これくらいのゆるさでよくなくなーい?

よっちゃんは、「自立」=「自分の価値を自分で決めること」を獲得したことで、対人関係をフラットにできたんじゃないかな? それで周囲のしがらみから自由になって、楽しい自分と楽しく過ごすキラキラステージに辿り着いたのでは?(もちろんそこに孤独はある。でも孤独は不幸ではないもんね)

よっちゃんの勇気について、もっと聞いてみたくなる。

ひとつだけ、誤解しないでほしいのは、決して、対人関係の中では幸福を得られないといっているわけではない。

よっちゃんだって、わずらわしさから脱却して孤独を愛するといっているけど、こうしてテレビに出たり、街を歩いたりすることで、新たに生まれた対人関係の中、感じる幸せもきっとあるはず。

独りの幸せと、誰かとの幸せと、両方あっていいよね。

どうかな? よっちゃん、アドラーちゃん!



*アドラー心理学について引用させていただいた書籍
『幸せになる勇気』岸見一郎・古賀史健著
『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの智恵』 岸見一郎著



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