2016年8月5日金曜日

退院は月曜日に(はじめてのユング・タロット)

前回ブログの「やばい」をとる手術から一週間ちょい。自分で言うのもナンですが、まじめに患者業に勤しんだせいか周囲もびっくりするくらい高速に回復していき、あとは検査をしたら退院オッケーの運びとなった。退院日は自分で決めていいということだったので、検査後すぐで都合がよい日曜にするか、いやいや少し余裕をもって月曜にするかを迷いに迷い、入院中に暇だろうし覚えてみようかなと持ち込んだ「ユング・タロット」をやってみることにした。

退院するなら一日でも早い方がいいと思われるかもしれないが、同じ病室で仲良くしてくれた日曜退院のおばあちゃんを病室から見送りたい、という気持ちがなんとなくあったり、隣のベッドのSさんとのキャンプの夜にひそひそと交わすような心弾むおしゃべりの締めくくりを一日でも伸ばしたい、なんていう気持ちもあったりした。しかもここは暑くも寒くもなく、9階の窓からは東京タワーとスカイツリーと刻々と変わる東京の夏の空が見渡せて、なんとも快適なのである。仕事も生活の細々したことも忘れ、子どもの頃のようにただ日々を生きることに徹することができた貴重な夏の締めくくりをどうするか、自分としてはそこそこ切実だった。

しかし、模範的患者気取りの自分が、看護師さんにお世話にならずとももう生活できるというのに一日でも居座るなんて甘えすぎだろ、と戒める。

というわけで日曜か月曜で迷っていた。

「退院を月曜にしようと思うのですがどうでしょうか?」と問うたユング・タロットのこたえは「マザー・ライト」。 テキストによると「自信を持って大丈夫。大船に乗ったつもりで動きましょう。自然と、周りから助けを得られるはず」とある。そうかそうか、そんなにギスギスまじめに考えなくてもゆったりと月曜退院でいいんだな、と合点した。

それでもその日の夜、寝際にまたもしつこく悶々と考えだし(優柔不断なのです)、やっぱり甘えちゃいけないよな、一日でも早く自立せねば!と自戒。翌朝、ユング・タロットのお告げを覆し、意を決して日曜退院の旨を看護師に伝える。

伝えたところで、看護師から最後の検査日の報告があり、私が医師から聞いていたより2日遅れとなっている。検査に使う機械の予約がとれなくて遅れたという。それじゃあ日曜退院は厳しいよねと。。。

結局、退院日は月曜となった。

ユング・タロットのテキストには「無意識のうちに予期している、もっとも可能性の高い「未来」を知ることができる」と書いてある。人はこれから起こることについて無意識になんとなく分かっているもので、また実際にそうなるように無意識のうちに今の自分を動かしていたりする。その無意識を意識化するのがこのカードらしい。

無意識を意識するなんてちょっと怖い気もするが、テキストには「もちろん、あなたが「今」を変えていくことで、未来を変えていくことができます」ともある。

それならてよみも同じだと思う。手のひらには「いまの自分」の現在過去未来があり、「いまの自分」が変わればそれらも呼応して変わるのだ。無意識だろうと意識的だろうと、いまこれからを変えていくのは自分次第。

はじめてのタロットカードの効力にややおののきながらも、その奥深さを実感(それと自分のしょーもない優柔不断ぶりも実感)。これから少しずつ触れてみようと思う。