2021年6月25日金曜日

地球にやさしく?

 年に一度、検診で大きな病院を訪れる。5年前にちょっと珍しい脊髄の手術をして、いまは嘘みたいに元気だが、検診だけは毎年来なくてはいけないらしい。

 清潔で明るい病院のロビーに並列した椅子には、その静かな空間にそぐわない実に多くの人たちが座っている。受付の人に待ち時間が長いと絡むおじさん以外は誰しも無表情で、いつか自分の番号が浮かび上がるはずの診察室横のモニターを眺めるとなしに眺めている。

 痛みや不調を抱えた人たちがこれだけいて、それをよくしてくれることを望んでみんなここに集っているのだ。見知らぬ人たちのあいだに妙な連帯感が漂う。

「あなたも何か大変なんだね」

 そう思うと、受付の人に絡んでキレて帰ったかと思ったら戻ってきたおじさんに対しても、心なしかやさしい気持ちになれる。

 人はままならない生き物だ。生きている限り生きようとする。いつか死ぬと分かっていても、大体の人はいま生きることを最優先する。

 そして、目の前に生きている人が、ずっと生きていてほしいと切に願う。

 この人間らしい、理屈ではとらえられない心もようはどこからくるのだろう? 猫にもそんな感慨はあるのか?




 最近よく聞く「地球にやさしく」というフレーズが苦手だ。一体どの立場から言ってるんだろう?と首をかしげたくなる。

 本当に地球環境を守りたいなら、極論をいうと、人類がいなくなった方がいい。生物が滅びることだって自然のことわりなのだから、別に嘆くことではない。

「地球にやさしく」しなくてはと言ってるのは、この先も地球に生息したい人間側の都合である。だったら地球にはもっと謙虚な言い方をするべきではないか、と思う。

「いままで本当に申し訳ありませんでした。以後、態度を改めるので、もう少しここ(地球)に住まわせてくれませんか?」

 まるで不倫あとの懺悔だ。

 そんな地球への弁明をぼんやり考えている私は、人類が滅びるまではできるだけ健康に生きていくため、モニターに自分の番号が表示されるのをひたすら待っているのである。


2021年4月27日火曜日

内臓レジャー

 約束ごとがないかぎり、私はふだん目覚まし時計を使わず適当な時間に起きている。そうやって体内時計任せに過ごしていると、自分の一日が24時間区切りでないことは明白だ。一食分のスープが食べきれず3口分くらい次の日に持ち越すような感じで、起床時間は朝から昼に、就寝時間は深夜から早朝にスライドしていく。

 体内時計には、太陽の「昼夜リズム」の24時間以外に、潮の満ち引きの「潮汐リズム」の24.8時間も深く影響してるそうなので、私は海辺のリズムの方が強いのかもしれない。およそ2週間で昼夜逆転する計算だ。

 そんなふだんの時間のズレのつじつまを合わせるかのように(結局合わないけど)、年に2度ほど春と秋に20時間を超える長時間睡眠をしてしまう。これも一年のなかにみられる私独自のリズムだ。

 ところで、私たちのカラダのなかにある胃袋も太陽系の一員だという。一年という周期をとっても、人によってさまざまな「年リズム」があり、胃袋もまた大きく眠ったり起きたりしていて、大きな宇宙的な要素「太陽系」の天体相互の運行法則にしたがって動いている、らしい。

 思わず頭のなかで「水金地火木土天海冥」のどこかのあいだに「胃」を浮かべた天体を描いてみる。


 そう教えてくれた解剖学者の三木成夫・著『内臓とこころ』(河出文庫)を読んでから、私は一日三食食べるのを完全にやめた。

 子どもの頃から燃費がよくお腹が空きづらい体質で、人とごはんを食べる約束があるときは前の日からあまり食べないように調整しなければいけなかった。私の母も同じ感じなので遺伝なのかもしれない。そのくせ食べることが大好きで、つまらないものを食べて腹を満たすことを憎み、食い意地ばかり鍛えてきた。

 一日三食食べなくていいと自分を許すと、こんなにラクなことはなかった。毎日きちんと食べなくてはいけないという義務感からの解放、ほんとうに食べたいときに食べたいものだけを食べる胃袋本位に生きる自由。胃袋から太陽系につながっているんだと妄想し、自分のなかの宇宙感覚(=食い意地!)にとことん耳をかたむけ食事をすることは理にかなっているようにも思えた。結果、一日一食くらいが自分にとってちょうどよいリズムなのだとも分かった。

「“食欲”という、ひとつの内臓感覚をとっても遠い宇宙の彼方との共振によって、支えられている」(前著より)

 食欲も睡眠欲も意識ではコントロールできない。コントロールできないことというのは、学校に行く、会社に行く、仕事をするなど、常に他者との約束をたくさん抱えている人間にとって厄介な対象だ。

 こちらは悠長に遠い宇宙の彼方と共振している場合ではない。ちまちまと頭で管理した行動をしなくては一日が成り立たない。時間を決めてごはんを食べたり寝たりするのは、潤滑に社会生活を送るためでもある。

 たまの休暇に山や海、遊園地など自分圏外へ出かけて楽しいのは、いつものそんな管理から解放されるからなのだろう。頭がコントロールできないことに身を委ねることで、心の方はラクになるのだから不思議だ。

 今年も残念ながらGWはどこにも行けなさそうなので、家のなかで自分の感覚だけを頼りにでたらめに生きてみるのも面白いかもしれない。

 食べたいものしか食べない。寝たいだけ寝る。スマホはオフにし、家中の時計とまとめてスーツケースにでもしまいこもう。徹底して自分の体内時計だけで過ごしてみる。頭のなかの「常識」や「普通」にもフタをして、社会性をとことん削いだ存在を目指す。

 これは家のなかでできるレジャーとしてはかなりスリリングだ。カラダにいいかは分からないし、誰かに怒られそうだけど、心はやわやわにほぐれそう。ついでに自分の本来のリズムがみつかったらめっけもんだ。内臓感覚にのっかって、宇宙トリップだってできるかもしれない。

 GW明けにちゃんと戻って来られるかは分からないけど。

2021年4月7日水曜日

おばあちゃんを産まない

 あるところに、その人が使っているハンコをみるだけでその人の運命が分かるという不思議なハンコ屋のおじいさんがいて、私の母はずいぶん前にそこでハンコを作ってもらった。当時、母は離婚する前だったが、旧姓で作って欲しいと頼んで、ついでに私と兄のハンコも母の旧姓で作ってもらった。

 ハンコは認印と銀行印と実印の3点セットだったが、私だけ「この子はお嫁に行くから」という理由で銀行印は作ってもらえなかった。私の分の銀行印の返金として受け取った5千円札は、いまもそのまま他の2本のハンコと一緒に保管してある。

 その後まもなく父と母は離婚し、すでに成人していた私と兄はそうする義務はなかったが、ハンコのとおりに母の姓に名前を変えた。

 それから10年以上経ち、母の姓は私の名前としてすっかり定着した。ときどき子どもの頃の持ち物にかつての名字で自分の名前が書かれてあるのをみつけると、不思議な気持ちになるくらいだ。ただ、あのハンコのことで、古いセーターのほつれのようなどうでもいい引っ掛かりがずっと心に残っていた。

 ある日の夕方ふと思い立ち、私はあのハンコ屋に電話をかけてみた。

「ずいぶん前にそちらでハンコを作っていただいたのですが、銀行印だけ「嫁に行くから」という理由で作ってもらえなかったんです。それで、どうも嫁にいくこともなさそうなので、改めて作ってもらえないかと思いまして、、、」

 電話口のおじいさんは耳が遠いのか「はあ」と大きな声で合いの手をいれながら何度も聞き返してきたが、大体のこちらの要望は把握してくれたようだ。その上で、

「がんばってお金持ちにホレたふりして子どもを作れ」

 と、突拍子もないことを言ってきた。 あれ、おじいさんボケちゃってるのかなあ?と思いきや、私の性格や状況をぽんぽん当ててくるから怖い。

「あんたは人間性がすぎる。神様や仏様と一緒。いつも人類愛でしょう。人間性と金持ちは両立しない。だからがんばって金持ちと結婚して子どもを作りなさい」

 そんなふうに言われて一体どんな気持ちになっていいのかさっぱり分からなかったが、「人類愛」というのだけは、いい言い訳を授かったような気がした。私が恋愛や結婚にあまり興味が持てないのが「人類愛」のせいだとしたらなかなか悪くない。

「そこまでして結婚して子どもを産まなければいけないのですか?」

 とたずねると、「むおんっ」と咳のようなものをして「あんたの子どもがおばあちゃんの生まれ変わりなんだよ」とおじいさんは言い放った。

 私は、本来父方の人間で、父の母親であるおばあちゃんが私の子どもとして生まれてくる予定だというのだ。それから話が私の父のことに及んだとたん電話はプツリと切れて、何度かけ直しても二度とおじいさんは出なかった。

 そんなことがあってからしばらくして、私は一人で祖母のお墓参りに行った。

 祖母は戦後すぐに夫を亡くし、一人で4人の子どもを育て、晩年は保険の外交員をしながら一人暮らしをしていた。フェルト地の細いツバのある帽子をいつもかぶっていて「おばあちゃんは大正時代のモガってやつなんだな」と子ども心に思っていた。

 ときどき仕事帰りにふらっと我が家に現れて、「鉛筆代ね」と小遣いを200円くれて、とくに面白い話をするわけでもなく夕飯を一緒に食べて帰っていった。祖母の右手の中指と薬指は、戦時中の勤労奉仕先で事故にあったとかで麻痺して動かなかったが、いつも動かない指で器用に箸を支えてごはんを食べていた。それから私が高校生のときに、病院で母に看取られて亡くなった。

 ぼうぼうに生い茂っていた墓周辺の雑草を抜き、雑草の中にあった小さな黄色い花を束ねて「おばあちゃん、ワイルドフラワーだよー」と墓石の前に生けて、線香がわりに家から持ってきたネロリのお香を焚き、コンビニで買った80円の豆大福を一口齧ってから半分に割って「おじいちゃんと分けてね」と言ってそなえた。我ながら適当すぎるが、改まると来づらくなりそうなのでいつもこんな感じだ。

 それでも、両手を合わせて「東京から引っ越そうと思うんだ。仕事もこれからどうなることやら分からないけど、おばあちゃんみたいに死ぬまで働いて生きていくよ」と口にしたら泣きそうになったのは何故だろう。

 祖母がどんな気持ちで働いて、どんな気持ちでたまに我が家に寄ったのか、私には分からない。ただ、祖母が一人で暮らして働いて生きていたという事実が、いまの自分にぐっと接近してくる。生きていたときよりずっと祖母に親しみが湧くのは、生きてる方の勝手すぎだろうか。

 すぐそこの木の上で、豆大福にありつくのを待ちわびたカラスがひと声鳴く。

 おばあちゃんも大変なこといっぱいあったんだろうね。いまはこっちはコロナで大変だよ。あ、でも戦争よりはマシか。私も適当に頑張るよ。別に見守ってくれなくていいから。それと、悪いけど子どもは産まないよ。おばあちゃんがこの時代にわざわざ生まれ変わってくるというのも、あんまりおすすめできないし。そっちでのんびりしてた方がいいよ。

 じゃあね、おばあちゃん。またね。

 それから何度かあのハンコ屋に電話をしているが、まるで繋がらないでいる。ハンコ屋のことを取材したことのある知人の編集者にきいたところ、逆に夕方にセンセイ本人が電話に出たことの方が奇跡だという。

 結局、私の銀行印は作ってもらえないままだ。