2019年5月21日火曜日

サボテンときのこと私たち

 ある撮影現場に居合わせたときのこと。フランス人の長身で細マッチョな男性モデルを目の前にした日本人サラリーマンのKさんが、「世の中不公平だよなあ〜」と自分の出っ腹をさすりながら自嘲気味に呟いたので、「いやいや、Kさんもあのモデルさんもよく似てますよ」と話しかけた。
「目は二つあるし、鼻は一つだし、口も一つ、耳は頭の横に二つくっついてるし、五本指で手も二つ、二足歩行だし、世界をカラー三原色で見てる。そっくりですよ!」
 Kさんは苦笑してたけど、私が心の底からそう思ったことに嘘はない。

 電車に乗っているとき、目の前に座る制服を着た女子高生が本当は50過ぎだとしても驚きはしないな、と思ったことがある。その女子高生が老けていたからとかではなく、その電車に乗っているすべての人間が、若くも年寄りにも見えて、どちらでもあるように思えた。
 ドア横に寄りかかってスマホを見ているあなたと、優先席でぐったり眠っているあなたの違いは何だろう? 年齢、声、クセ、昨日食べたもの? そんな全然違うかもしれない私たちは、同じような眠たい目つきで停車駅の名前を確認したり、お互いに隣に座る人間をちょっと不快に思ったりしている。私たちは大して違わないんじゃないか?

 だいたい同じ形状でできている私たちは、仮に頭の中ではいろいろ考えていたとしても、やることといえばよく似ている。起きて、ごはんを食べて、うんこをして、眠る。とりあえず、生きていこうとしているところなんてそっくりだし、「明日」があるってふつうに思っているところなんて、とても私たち人間っぽい。

 他の生物からすれば、私たちの違いなんて不明瞭だろう。そのサボテンとあのサボテンの違いが、私にはよく分からないように。
 私にとってサボテンは、「トゲトゲして暑さに強い奴ら」だ。サボテンにとって人間は、「せっかく体に取り入れた養分を排泄しちゃう不思議な生き物」かもしれない。

 きのこ狩りに行くと、最初はぜんぜん見つけられなかったきのこが、森に目が慣れるにつれて一気に見えてくる瞬間があるという。それまで森と同化して身を潜めていたきのこたちが、「実はこんなにいたのさ!」とどっと出現するそうだ。

 人の手のひらをじーっとみていると、そんなきのこが出現するような瞬間がある。5本の指と、手のひらの丘を縫うようにある生命線、感情線、頭脳線などの構造は誰でも同じようだけど、その手のひらをよくよく読み込んでいくと「こんなにみんな違うんかいっ!」と、途方にくれたくなるような瞬間が。

 宇宙から見ればひとまとめにされてしまうだろう私たちは、それぞれの小さな渦の中では、なんとさまざまなんだろう。サボテンと、きのこと、人間の違いがあって、サボテンの中と、きのこの中と、人間の中にも、とても細やかでかけがえのない違いがある。

 みんな似ていて、みんな違う。

新宿御苑内の温室のサボテン「キンシャチ」。