「目は二つあるし、鼻は一つだし、口も一つ、耳は頭の横に二つくっついてるし、五本指で手も二つ、二足歩行だし、世界をカラー三原色で見てる。そっくりですよ!」
Kさんは苦笑してたけど、私が心の底からそう思ったことに嘘はない。
電車に乗っているとき、目の前に座る制服を着た女子高生が本当は50過ぎだとしても驚きはしないな、と思ったことがある。その女子高生が老けていたからとかではなく、その電車に乗っているすべての人間が、若くも年寄りにも見えて、どちらでもあるように思えた。
ドア横に寄りかかってスマホを見ているあなたと、優先席でぐったり眠っているあなたの違いは何だろう? 年齢、声、クセ、昨日食べたもの? そんな全然違うかもしれない私たちは、同じような眠たい目つきで停車駅の名前を確認したり、お互いに隣に座る人間をちょっと不快に思ったりしている。私たちは大して違わないんじゃないか?
だいたい同じ形状でできている私たちは、仮に頭の中ではいろいろ考えていたとしても、やることといえばよく似ている。起きて、ごはんを食べて、うんこをして、眠る。とりあえず、生きていこうとしているところなんてそっくりだし、「明日」があるってふつうに思っているところなんて、とても私たち人間っぽい。
他の生物からすれば、私たちの違いなんて不明瞭だろう。そのサボテンとあのサボテンの違いが、私にはよく分からないように。
私にとってサボテンは、「トゲトゲして暑さに強い奴ら」だ。サボテンにとって人間は、「せっかく体に取り入れた養分を排泄しちゃう不思議な生き物」かもしれない。
きのこ狩りに行くと、最初はぜんぜん見つけられなかったきのこが、森に目が慣れるにつれて一気に見えてくる瞬間があるという。それまで森と同化して身を潜めていたきのこたちが、「実はこんなにいたのさ!」とどっと出現するそうだ。
人の手のひらをじーっとみていると、そんなきのこが出現するような瞬間がある。5本の指と、手のひらの丘を縫うようにある生命線、感情線、頭脳線などの構造は誰でも同じようだけど、その手のひらをよくよく読み込んでいくと「こんなにみんな違うんかいっ!」と、途方にくれたくなるような瞬間が。
宇宙から見ればひとまとめにされてしまうだろう私たちは、それぞれの小さな渦の中では、なんとさまざまなんだろう。サボテンと、きのこと、人間の違いがあって、サボテンの中と、きのこの中と、人間の中にも、とても細やかでかけがえのない違いがある。
みんな似ていて、みんな違う。
新宿御苑内の温室のサボテン「キンシャチ」。