2021年4月27日火曜日

内臓レジャー

 約束ごとがないかぎり、私はふだん目覚まし時計を使わず適当な時間に起きている。そうやって体内時計任せに過ごしていると、自分の一日が24時間区切りでないことは明白だ。一食分のスープが食べきれず3口分くらい次の日に持ち越すような感じで、起床時間は朝から昼に、就寝時間は深夜から早朝にスライドしていく。

 体内時計には、太陽の「昼夜リズム」の24時間以外に、潮の満ち引きの「潮汐リズム」の24.8時間も深く影響してるそうなので、私は海辺のリズムの方が強いのかもしれない。およそ2週間で昼夜逆転する計算だ。

 そんなふだんの時間のズレのつじつまを合わせるかのように(結局合わないけど)、年に2度ほど春と秋に20時間を超える長時間睡眠をしてしまう。これも一年のなかにみられる私独自のリズムだ。

 ところで、私たちのカラダのなかにある胃袋も太陽系の一員だという。一年という周期をとっても、人によってさまざまな「年リズム」があり、胃袋もまた大きく眠ったり起きたりしていて、大きな宇宙的な要素「太陽系」の天体相互の運行法則にしたがって動いている、らしい。

 思わず頭のなかで「水金地火木土天海冥」のどこかのあいだに「胃」を浮かべた天体を描いてみる。


 そう教えてくれた解剖学者の三木成夫・著『内臓とこころ』(河出文庫)を読んでから、私は一日三食食べるのを完全にやめた。

 子どもの頃から燃費がよくお腹が空きづらい体質で、人とごはんを食べる約束があるときは前の日からあまり食べないように調整しなければいけなかった。私の母も同じ感じなので遺伝なのかもしれない。そのくせ食べることが大好きで、つまらないものを食べて腹を満たすことを憎み、食い意地ばかり鍛えてきた。

 一日三食食べなくていいと自分を許すと、こんなにラクなことはなかった。毎日きちんと食べなくてはいけないという義務感からの解放、ほんとうに食べたいときに食べたいものだけを食べる胃袋本位に生きる自由。胃袋から太陽系につながっているんだと妄想し、自分のなかの宇宙感覚(=食い意地!)にとことん耳をかたむけ食事をすることは理にかなっているようにも思えた。結果、一日一食くらいが自分にとってちょうどよいリズムなのだとも分かった。

「“食欲”という、ひとつの内臓感覚をとっても遠い宇宙の彼方との共振によって、支えられている」(前著より)

 食欲も睡眠欲も意識ではコントロールできない。コントロールできないこととは、学校に行く、会社に行く、仕事をするなど、常に他者との約束を抱えている社会性ある人間にとっては厄介な対象だ。

 こちらは悠長に遠い宇宙の彼方と共振している場合ではない。ちまちまと頭で管理した行動をしなくては一日が成り立たない。時間を決めてごはんを食べたり寝たりするのは、潤滑に社会生活を送るためでもある。

 たまの休暇に山や海、遊園地など自分圏外へ出かけて楽しいのは、いつものそんな管理から解放されるからなのだろう。頭がコントロールできないことに身を委ねることで、心の方はラクになるのだから不思議だ。

 今年も残念ながらGWはどこにも行けなさそうなので、家のなかで自分の感覚だけを頼りにでたらめに生きてみるのも面白いかもしれない。

 食べたいものしか食べない。寝たいだけ寝る。スマホはオフにし、家中の時計とまとめてスーツケースにでもしまいこもう。徹底して自分の体内時計だけで過ごしてみる。頭のなかの「常識」や「普通」にもフタをして、社会性をとことん削いだ存在を目指す。

 これは家のなかでできるレジャーとしてはかなりスリリングだ。カラダにいいかは分からないし、誰かに怒られそうだけど、心はやわやわにほぐれそう。ついでに自分の本来のリズムがみつかったらめっけもんだ。内臓感覚にのっかって、宇宙トリップだってできるかもしれない。

 GW明けにちゃんと戻って来られるかは分からないけど。