あるところに、その人が使っているハンコをみるだけでその人の運命が分かるという不思議なハンコ屋のおじいさんがいて、私の母はずいぶん前にそこでハンコを作ってもらった。当時、母は離婚する前だったが、旧姓で作って欲しいと頼んで、ついでに私と兄のハンコも母の旧姓で作ってもらった。
ハンコは認印と銀行印と実印の3点セットだったが、私だけ「この子はお嫁に行くから」という理由で銀行印は作ってもらえなかった。私の分の銀行印の返金として受け取った5千円札は、いまもそのまま他の2本のハンコと一緒に保管してある。
その後まもなく父と母は離婚し、すでに成人していた私と兄はそうする義務はなかったが、ハンコのとおりに母の姓に名前を変えた。
それから10年以上経ち、母の姓は私の名前としてすっかり定着した。ときどき子どもの頃の持ち物にかつての名字で自分の名前が書かれてあるのをみつけると、不思議な気持ちになるくらいだ。ただ、あのハンコのことで、古いセーターのほつれのようなどうでもいい引っ掛かりがずっと心に残っていた。
ある日の夕方ふと思い立ち、私はあのハンコ屋に電話をかけてみた。
「ずいぶん前にそちらでハンコを作っていただいたのですが、銀行印だけ「嫁に行くから」という理由で作ってもらえなかったんです。それで、どうも嫁にいくこともなさそうなので、改めて作ってもらえないかと思いまして、、、」
電話口のおじいさんは耳が遠いのか「はあ」と大きな声で合いの手をいれながら何度も聞き返してきたが、大体のこちらの要望は把握してくれたようだ。その上で、
「がんばってお金持ちにホレたふりして子どもを作れ」
と、突拍子もないことを言ってきた。 あれ、おじいさんボケちゃってるのかなあ?と思いきや、私の性格や状況をぽんぽん当ててくるから怖い。
「あんたは人間性がすぎる。神様や仏様と一緒。いつも人類愛でしょう。人間性と金持ちは両立しない。だからがんばって金持ちと結婚して子どもを作りなさい」
そんなふうに言われて一体どんな気持ちになっていいのかさっぱり分からなかったが、「人類愛」というのだけは、いい言い訳を授かったような気がした。私が恋愛や結婚にあまり興味が持てないのが「人類愛」のせいだとしたらなかなか悪くない。
「そこまでして結婚して子どもを産まなければいけないのですか?」
とたずねると、「むおんっ」と咳のようなものをして「あんたの子どもがおばあちゃんの生まれ変わりなんだよ」とおじいさんは言い放った。
私は、本来父方の人間で、父の母親であるおばあちゃんが私の子どもとして生まれてくる予定だというのだ。それから話が私の父のことに及んだとたん電話はプツリと切れて、何度かけ直しても二度とおじいさんは出なかった。
そんなことがあってからしばらくして、私は一人で祖母のお墓参りに行った。
祖母は戦後すぐに夫を亡くし、一人で4人の子どもを育て、晩年は保険の外交員をしながら一人暮らしをしていた。フェルト地の細いツバのある帽子をいつもかぶっていて「おばあちゃんは大正時代のモガってやつなんだな」と子ども心に思っていた。
ときどき仕事帰りにふらっと我が家に現れて、「鉛筆代ね」と小遣いを200円くれて、とくに面白い話をするわけでもなく夕飯を一緒に食べて帰っていった。祖母の右手の中指と薬指は、戦時中の勤労奉仕先で事故にあったとかで麻痺して動かなかったが、いつも動かない指で器用に箸を支えてごはんを食べていた。それから私が高校生のときに、病院で母に看取られて亡くなった。
ぼうぼうに生い茂っていた墓周辺の雑草を抜き、雑草の中にあった小さな黄色い花を束ねて「おばあちゃん、ワイルドフラワーだよー」と墓石の前に生けて、線香がわりに家から持ってきたネロリのお香を焚き、コンビニで買った80円の豆大福を一口齧ってから半分に割って「おじいちゃんと分けてね」と言ってそなえた。我ながら適当すぎるが、改まると来づらくなりそうなのでいつもこんな感じだ。
それでも、両手を合わせて「東京から引っ越そうと思うんだ。仕事もこれからどうなることやら分からないけど、おばあちゃんみたいに死ぬまで働いて生きていくよ」と口にしたら泣きそうになったのは何故だろう。
祖母がどんな気持ちで働いて、どんな気持ちでたまに我が家に寄ったのか、私には分からない。ただ、祖母が一人で暮らして働いて生きていたという事実が、いまの自分にぐっと接近してくる。生きていたときよりずっと祖母に親しみが湧くのは、生きてる方の勝手すぎだろうか。
すぐそこの木の上で、豆大福にありつくのを待ちわびたカラスがひと声鳴く。
おばあちゃんも大変なこといっぱいあったんだろうね。いまはこっちはコロナで大変だよ。あ、でも戦争よりはマシか。私も適当に頑張るよ。別に見守ってくれなくていいから。それと、悪いけど子どもは産まないよ。おばあちゃんがこの時代にわざわざ生まれ変わってくるというのも、あんまりおすすめできないし。そっちでのんびりしてた方がいいよ。
じゃあね、おばあちゃん。またね。
それから何度かあのハンコ屋に電話をしているが、まるで繋がらないでいる。ハンコ屋のことを取材したことのある知人の編集者にきいたところ、逆に夕方にセンセイ本人が電話に出たことの方が奇跡だという。
結局、私の銀行印は作ってもらえないままだ。